研修名称:『第3回南地域宗祖親鸞聖人講座』
開催期日:2010年2月24日(水)午後2時00分〜午後4時00分まで
講 師:中川皓三郎 師(帯広大谷短期大学学長)
会 場:智徳寺
参加人数:31名(男性26名/女性5名)
寺 院 数:9か寺/18か寺
スタッフ:4名 巌城孝憲・藤田真宏・野原量慧・伊藤智秀
学習形態:講義
テキスト:第2巻 第4章「道を求めて(二)」 法語1「二河譬」
第3巻 第5章「本願に帰す」 法語2「ただ念仏して」
報 告
第3回目となる今回も、スタッフの皆さんに、南地域寺院十八か寺への参加のよびかけを積極的にしていただき、その結果、ご住職ばかりではなく、若院や坊守さん、准坊守さんのご参加もあって、三十一名のご参加でありました。
開会式は、須磨第四組組長さんにご挨拶の言葉をいただき、開会。ついで、ご講師であられる中川皓三郎先生に、テキストから「第4章道を求めて(二)」から「二河譬」、そして、「第5章本願に帰す」から「ただ念仏して」という法語のところの講義がありました。行きづまることにおいて、初めて教えが聞こえてくる、ということがある。その行きづまりの三定死という場が、仏法と出遇う場になるかならないかの大事な場である、ということを語られました。以下は先生の言葉です。
「自分が悪人であると。そして、そのことによって、申し訳なかったと。浄土真宗という言葉で表わされた仏道というものが、どういうものであるのか、ということが語られている言葉に、また「ご消息」ですけども、こういう「ご消息」があります。聖典五六三頁ですけれども。「としごろ念仏して往生を願うしるしには、もと悪しかりしわがこころをも思いかえして」。つまり、どれほどひとを傷つけ自分を傷つけているかということを、よくよく深く反省してと。だから、要するに、三定死という言葉で二河白道が語っていることは、同時に我々が、どれほど自分を傷つけ人を傷つけて生きているかと教えられて気づく。つまり、悪人の自分に気付くということ。そして、そのときに頭が下がる。その頭が下がった所に、「ただ念仏しなさい」と教えられる。そして、その「ただ念仏しなさい」という教えは、阿弥陀仏がこの私に、「念仏してたすけられなさい」と呼びかけてくる。そういう勅命を聞く。そして、その念仏して、「我、阿弥陀仏にたすけられん」という新しい我が誕生してくる。こういうことが具体的に、信心という言葉で教えられていることです。だから我々は、どこで阿弥陀仏の大悲というものに目覚めることができるか。本願のおこころに目覚めることができるのかということが、二河白道では、東の岸、西の岸ということが言われ、『歎異抄』では、よきひと法然上人が、「ただ念仏して弥陀にたすけられなさい」と教えられたことを、本当にその通りだと受け止める。今日、学びたいと思っていたことは、我々が前提にしている生き方は、必ず行きづまるんだと。行きづまることが正解なんだと。ところが、現代という時代は、行きづまるということをなかなか認めない。だけれども、本当に行きづまることにおいて、我々は教えに出会うことができるんだと。そして、教えを学ぶということが起こる。そして学ぶということを通して、阿弥陀仏の大悲に目覚めることができるんだと。我々の所に起こってくるんだと。阿弥陀仏の大悲に目覚めることにおいて、浄土が開かれるんだと。そして、その浄土というのは、全ての人が兄弟であるという、こういうような目覚めなのです。あなたもあなたもみんな、如来に大悲されているんだということが分かる。兄弟であるということが分かる。」このように語られ、我々一同、感銘を深く致しました。
以上
感想や問題点
第3回目となる今回も、多くのご参加者があり、南地域の方々の、この親鸞聖人講座へ寄せる熱意を感じました。ただ初回はもっと多くのご参加があり、37名(14か寺)という大勢の参加でしたので、一人でも多くの方々に参加して聞いて欲しいと思いました。お寺で法座があっても、お寺に住んでいる者、法務している者が一番聞法していないのではないか。それでは、ご門徒さんに「お寺に来て。聞法して」とは言えないのではないか。仏法に育てられ、お御堂で育てられ、ご門徒さんに育てられる。我々は何を願いとして生きているのか? 「念仏者たらん、仏弟子たらん」としているかどうか。その熱意は必ず伝わっていく。それは人の力ではなく、法のはたらきであるということを考えさせられました。
報告者・・巌城孝憲

南地域門徒研修会
開催日時: 2010年4月12日 午後2:00−4:00
開催場所: 海道教務所
講師 : 九谷知正先生(第16組無量寺住職)
講題 : 存在ーその重さ
参加者 : 50名(男性26名,女性24名)
参加寺院: 11か寺/全18か寺中(19か寺中、協力寺院1か寺は研修会案内不要とのことなので案内していない)
スタッフ: 巌城孝憲,明石正順,(当日スタッフ:藤田真宏)
内容
今年度の南地域門徒研修会は、スタッフ会議にて検討した結果、九谷知正先生に法話をお願いする形で、南地域の丁度中間の位置にある北海道教務所(中央区)を会場に、ご門徒の皆さんと共に、住職・坊守はじめ院内も聞法させていただく研修会といたしました。
講師の先生からは、「私は人という身をいただいている。人とは人に対して人である。関係存在としてある。それから草木に対して人である。人が前提ではない。人が人として見出されない限り、人になれない。時と場所と人、これを三間(さんかん)と言う。時間と空間と人間である。現代という時代はこの三間が見失われている。時と所と人を見出したい。48願の最初は無三悪趣の願である。時と所と人が失われているあり方を三悪趣と言う」と言われ、「人間であることを決してばかにしない」のが仏法であると言われ、「決めた世間の法が人を縛るんです。人を縛りつけて、いよいよがんじがらめにしている。そのがんじがらめにしている法。それに対して、仏法というのは、仏さまの話しというのは、縛られている私を開いていくことなんです。縛られれば縛られるほど、自分の身を守るために、いろいろ考えますよ。だから、現代という時代、いろんなことできるけれども、結局は身を守り、それぞれの身を立て、そのことを破って、この身を通して、いのちの深い意味を、いのちの重さを、私どもが開かしてもらうということが、とても大事というか、そういうことが今問われている時代ではないかなと思います。何かそういうことをつくづく思います。
身の上をどうするかといえば、結局は、思い通りにしたいとすれば、いよいよ、縛りつけていくことばかり決めてくるということ。ところが、いのちはいつでも、開きたいという要求があるのではないでしょうか。縛られたら、開放されたいと。解き放たれて、自分が自分であることを、生き生きと生きていきたい。そういういのちを、生き生きと生きている人が、たとえば、(TVで)まどみちおさんの表情見たら、とっても輝いていますよね。何かめが輝いてますよね、百歳になっても。おれ、ああいうおじいさんになりたいな。車椅子に押されながらさ、アリ一匹見えたら、「ごくろうさん!」って言ってるんですよ。「この熱いのに、あんたも大変ね!」って言ってるんだよ。今そんなことを、街の中で言ったら、「あんたばかでないの?」と言われるよ。何か、そういう人に、ぼくらは出会ってきたはずです。そういう面白いおじさんに。そして、そういうおじいさん、何か生き生きしてたんじゃないですか。現代という時代は、そいいう生き生きした自分自身を、取り戻してねという、そいいう深い願いが、重い願いが、ぼくら、気付いていけれるということが、いつの時代でも、そういう問題を感じます」と語られて、深い感動を与えてくださいました。
(報告者・巌城孝憲)

宗祖親鸞聖人講座報告
研修名称:『御遠忌お待ち受け 西地域親鸞聖人講座』
開催期日:2010年4月14日(水)午後2時〜午後4時まで
講 師:黒萩 昌師(南第3組 法誓寺住職)
会 場:聖光寺
参加人数:17人
参加寺院数:10カ寺
スタッフ部門名:巖城祐二、岡田稔也、守城英照
スタッフ人数:3人
実施目的:僧侶並びに寺院に生活する者が自ら学びを深め御遠忌をお迎えするための大切な学習
テ ー マ:法語から読む宗祖親鸞聖人2、第三章 道を求めて、法語二
報 告
・内容
講義内容
我々は発心というところに立たないと何も始まらない。道を求める心は、我々のまじめさから出てくるものではない。我々は自分の中のまじめさで仏法を聞いていると思っているが、しかしまじめさで聞いているのではない。なぜなら普段の生活は仏法とはかけはなれた生活をしている。
我々の生活は、家族・経済・地位・名声・健康など色々なものを握りしめ、これが(間に合う)ものとして、その一つ一つをはなせず執着している。その握りしめた手から法がこぼれおちていく。そういう人間にそれは(間に合わない)と念仏は呼びかけてくる。如来は自力無効と呼びかけてくる。
間に合わないものに、いかにしがみついていたかという私に目覚める、自力が間に合わないという事実に目覚めたとき、仏法が聞こえてくる。
執着心を捨てるとは、今まで執着していた一つ一つのものが執着するものではないということを自覚することである。
心というものは物を捨てるようにはいかない。心(執着心)を捨てるということは自覚ということ以外にない。
我々にとって救いとは、最後の臨終の一念に至るまで求めて行く道に立つこと。
私一人が宗祖からよくそこに気づいたねとほほ笑んでもらえる私となる、それが真宗門徒ではないか
・感想や反省点
今回は始まりの時間が遅れ、座談会の時間が少なくなったため全員の意見が聞けず大変残念なことではありましたが、参加者一人一人がそれぞれ講義をとうして、自分の生活が問われ、引っかかりをかんじていたという意見が出されていた
報 告 者:守城 英照
『第4回北地域宗祖親鸞聖人講座』
開催期日:2009年7月15日(水)午後4時〜午後6時まで
講 師:提言者 藤田彰美 師(大道寺住職)
会 場:大道寺
参加人数:13名(男性9名/女性4名)寺 院 数:6ヶ寺
スタッフ:飯尾亜紀仁、大口直道、磯石靖克
学習形態:輪読
テキスト:第2巻 第4章「道を求めて【2】六角堂参籠」 法語123
報 告
第3回目の親鸞聖人講座が開催されました。今回も輪読形式の学習を行いました。第4章「道を求めて【2】六角堂参籠」を法語を含めゆっくりと輪読しました。10分ほど休憩の後、藤田彰美師に提言を頂き座談をしました。
提言を要約すると「我々の学びのあり方は、知識を身につけ少しでも良いものにまともなものになるように学んでいくということが一般的な「学ぶ」という事であるが、仏教を聞くという事はそういう事ではない。救われない自分に目が覚めたということが信心ということである。念仏すれば救われるのではなく、念仏しなければ救われないのである。言葉は似ているが意味が違ってくる。同様に、お寺に住んでいるから助かるのではなく、寺に住まなくては助からないのである。宗祖の明らかにされた信心は徹底して自覚のことである。」ということだったと思います。
また、浄土教以前の仏教は目標は釈尊であり、仏道といえどもそこに向かっていく上昇志向の形態であったが、法語1の二河譬で述べられているのは向下心ともいうべきことであり、仏道をひっくり返すようなことが明かされていることを確認しました。
次回も続きを読むということを決めて閉会し、弁当をみんなで頂きました。
感想や反省点
座談の司会がなかなかしんどいです。問題を絞り込むことができず時間が過ぎてしまいます。「みんなで輪読をしたということで学習会の半分達成したんだ!」と毎回自分に言い聞かせております。。。
(報告者):磯石靖克