『ヤスクニ問題現地学習会』報告
開催期日:2010年2月2日(火)〜 2月4日(木)まで
講 師:長谷 暢 師(沖縄開教本部出仕)
津多 則光 師(平和ネットワーク・沖縄国際大学講師)
会 場:沖縄開教本部 及び 沖縄南部戦地
参加人数:13名
参加寺院数:10ヶ寺
実施目的:人間の悲惨な事実と向き合い、自身の歩みと課題を問い、人間として出遇える世界を求める心を呼び覚ます叫びを聞く。
報 告
去る2月2日から4日までの日程で日本唯一地上戦が行われた沖縄を訪れて学習をしてまいりました。沖縄は1945年3月末〜9月までの間に全戦没者数が約238,400余名に(県内出身の軍関係と一般沖縄県民は148,000余名、他都道府県出身者は75,400余名アメリカ軍戦没者は14,500余名)及び、当時の沖縄県60万人の約4分の1の人が亡くなっている激戦地であります。初日は那覇空港に到着後、旧海軍指令壕と沖縄開教本部を訪れました。
@海軍指令壕(那覇市・豊見城市)
海軍司令壕は那覇と豊見城市の境にあり、今から65年以上前に掘られた地下壕で全長は約450メートルにも及んでいます。早くからアメリカ軍の上陸を察知し、その攻撃に備え人力で彫り進められたものですが、沖縄戦の終結間近に4,000名の日本兵が手榴弾などで自決をした地下壕です。今でも石灰石の人工洞穴の壁には、所々につるはしの跡や手榴弾・銃弾の跡がありました。奥に進むと「司令室」と立札があり、その部屋の中には頑丈そうな机と椅子があって、壁には司令官が自決前に書いたとされる句がありました。
最初に訪れた見学の場所でしたが、早くも沖縄の現実に触れ、なんとも言いようのない気持ちになりました。
A沖縄開教本部(宜野湾市)
沖縄の町並みを眺めながら宜野湾市に向かい、開設17年目の「沖縄開教本部」到着し、長谷暢出仕が出迎えてくれました。
開教本部の中は20畳ほどの講堂とその奥に事務所があり、その講堂をお借りして開会式を行いました。続いて長谷出仕より「沖縄開教と沖縄の現況」そして「ひめゆりとヤスクニ問題」についてのお話をいただき、更に現在の沖縄での活動と取り組みを聞かせていただきました。
長谷師は、沖縄の人々の信仰と仏教観、他宗派の展開、沖縄開教の問題点や葬儀の在り方の違いについてお話になり、それに対する私達からの質問に間違ってはいけないと思うのは、沖縄の歴史や文化を否定するのではなく、この地や人に流れているものを大切にし深めるようなことをしたい。真宗の教えのなかにはそれがある。と答えられたことに感銘を受けました。
ちなみに現在沖縄県には大谷派の寺院が1ケ寺あり、西本願寺は19ケ寺、浄土宗は10、天台宗は2、臨済宗が10とのことです。開教本部はこれから別院として形を変え5月から新たなスタートを切るなかでの訪問でした。その晩、長谷さんとの親睦会の中で皆々と「沖縄と真宗」について語り合い、その中である方の「沖縄の人々の中に、生きてはたらいているお念仏を見てゆくことが、沖縄開教なのですね」との言葉が私の中に深く残りました。

B嘉数高台公園と普天間基地(宜野湾市・浦添市)

二日目は沖縄戦平和学習ガイドの津多則光先生(平和ネットワーク・沖縄国際大学講師)の説明を受けながら現地を巡っていきました。

先ず初めに訪れたのは嘉数高台公園(かかずたかだい)で、沖縄中南部の景色を360°見渡せる小高い丘陵公園です。ここも日本軍の対米上陸戦の施設であり、日本軍の抵抗により米軍は落城に2週間の日を要したそうです。この戦闘で宜野湾・浦添地域住民の2人に1人が亡くなったといわれます。また公園の中心にある展望台に上って見ますと、眼下には今話題の普天間基地が広がっていました。その広大さに身を見張るばかりでありましたが、実際に目の当たりにすることで、生活の現実の中に戦争の問題があることを考えずに居れないことが分かる気が致しました。
C糸数アブチラガマ(南城市)

次に向かったのは南城市玉城の糸数アブチラガマです。沖縄にはたくさんの自然洞穴が各地にあり、沖縄の言葉で「ガマ」(壕)というのですが、住民の避難場所や軍の施設、病院として使われました。日本軍はこの地形を利用して米軍との戦いを繰り広げていきました。(土地の所有者はガマの提供を強要され戦後は軍に協力したということで遺族に聞くこともなく靖国神社に英霊として祀られている方もいます。)そのガマのなかでもアブチラガマは奥深く広がっており、内部には川が流れていたので軍施設や軍病院として利用するのに向いていたといわれます。このガマには最大約1,000名が過ごしていたといわれており、ひめゆり学徒も軍医の助手として働いた場所です。沖縄戦の悲劇とはこういったガマで起こったと言えます。米軍上陸の4月から約2ヶ月後の6月、牛島最高司令官の解散命令後も「生きて捕虜となることはならぬ」との皇民教育に沖縄住民は日本兵とともにガマからは出ようとせず、米軍の投降の呼びかけにも応じることはなかった為に火炎放射器や爆弾・毒ガスなどで焼き殺され焙り出されたりするまで身を潜め隠れていたそうです。

受付から歩いて2・3分の南洋植物の林の所にアブチラガマ入り口があります。岩の裂け目のような穴の底へと降りていきました。中へ入ると湿度が高く、真っ暗で灯はそれぞれが持つ懐中電灯のみでした。足元に気をつけ奥へと進みます。やがて広いところに出てあたりを照らすと、素焼きのカメの破片、割れたガラス瓶、食器のかけらなどが散乱していました。少し高い岩段のようなところには「脳症患者」「破傷風患者」「手術室」と書かれた立て札がありました。そこで津多先生からのお話を伺う中で傷痍軍人の惨状を思い、更には軍人やそこに集う人々の苦悩と望郷の念に思いを致さずには居れませんでした。約1時間ガマでの研修を行い、やっと地上の光が見えてき時、地下から這い出た何ともいえない開放感に満たされた思いでした。
D平和記念公園・ひめゆりの塔(糸満市)

昼食の後、沖縄県立平和祈念公園を訪れました。公園内には資料館と沖縄戦で亡くなった全ての人の名前を刻んだ石碑が並んでいます。資料館は沖縄の歴史などがわかるように展示してありました。
開教本部の長谷さんに比較してほしいと言われたのですが、後で訪れた「ひめゆり平和祈念資料館」はひめゆりの学徒たちの私費と募金にて運営しているのですが、旧海軍指令壕や平和祈念公園は沖縄県が費用を出して運営しています。ある資料を見ると、ひめゆりの学徒生存者が平和を訴えていくときに誰かの意思が介入してはいけないと考え公的な援助を受けなかったそうです。大切なことは戦争の醜さと真実が曲げられないようにすること、またそこを訪れて見るものたちが感動という形で戦争を美化して理解しないことも忘れてはいけないと思いました。
「ひめゆり平和祈念資料館」には亡くなった学徒の遺影が飾られ(遺影の下には死亡の状況が克明に書かれてある)、併せて生存者の証言が展示されていました。そして「ひめゆり学徒」の仲里征子さんと少しだけお話がすることができました。仲里さんは高校生に対し当時の状況を一生懸命にお話しておられました。そのお姿が大変印象的でした。しかし私自身ここで聞いたことを忘れずにいるだろうか思いましたが、津多先生は「みんな帰ると忘れてしまうんです」と仰っていたことが改めて思い起こされます。
E沖縄菩提樹園(糸満市)
日程も終わりに近づき訪れた場所は日本唯一のインド菩提樹がある「沖縄菩提樹園」でした。2003年にインドのサールナートの僧侶たちが沖縄での戦争の歴史を聞き平和のためにとサールナート菩提樹から分け木していただいた本物の菩提樹です。インドでは菩提樹は仏様の体と同じであり普通分け木はしないそうです。長谷氏はサールナートの菩提樹ということで特に大切にしてゆきたいとお話しておられました。ちなみにこの菩提樹園に関わる仏教教団は大谷派だけで、これからも「成道会」を催していきたいと仰っていました。
F意見交換会
全ての行程が終了し那覇市内へ戻り「意見交換会」を開きました。今回の研修の中でそれぞれ感じたことを述べていただき、更には沖縄の戦地をめぐり人に遇う中で自分との関わりをお話してくれました。

・感想や反省点
今回の現地学習会で「ヤスクニ」ということをテーマとして学んだのですが、戦争経験者や遺族だけの問題と見てしまい、自分の身近な生活に関わる問題としては中々見えてきません。しかし本当は私たちの遠いところに「ヤスクニ」があるわけではありません。社会教化部門内でよく話し合いますが“まず私が知っていくということ”の大切さ、そこから自身の中にあるヤスクニ体質と向き合ってゆくことだと思いました。それは私の持つ一方的な視点というものを言い当てられた気がいたします。現地に行き、まずは自分の目で見て、肌で感じてみることの大切さをあらためて知らされました。ここで頂いた視点は他をみつめることと、もう一つ、自分自身をみつめるという視点でしょうか。
沖縄の人たちが抱える問題はわたしたちに「当たり前ではない平和」の大切さを伝えようとしていました。長谷先生が宮下晴輝先生の言葉を紹介して下さいました。「慰霊という言葉を沖縄の人たちは使われます。私たちはそれを『追悼』というかもしれません。しかし、沖縄の人たちがその戦争というなかでたくさんの死に直面するとき『慰霊』という言葉でしか表現できないものがあるのではないか、その言葉しか持ち合わせていないのでは…」。
また箕輪秀邦先生が掲げた講題が印象にあるといいます『慰霊から平和へ、そして菩提へ』と書かれていたそうです。「慰霊」のうえに“いのり”とフリガナがあり「平和」のうえには“ねがい”とあり、そして『菩提へ』と。
仏教徒としてわたしは何をしてゆくのか?あらためて問われた今回の学習会でありました。
(社会教化部門報 告 者:佐々木 強)
| 「ヤスクニ問題現地学習会」写真について |
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