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2008年度 社会教化部門、活動報告

研修名称:『同朋社会研修会』

開催期日:2008128日(月)1330分~午前17まで

講  師:黒田 進 長浜教区第14組満立寺住職

会  場:東本願寺会館2F講堂

テーマ 「同朋会運動50年を控えて」

        ―今なぜ差別・ヤスクニを学ばなければならないのか―

去る12月8日、社会教化部門の「同朋社会研修会」が、前修練道場長で長浜教区第14組満立寺住職の黒田進先生をお迎えして、多くのご門徒・寺属の参加をいただき開催されました。

 同朋会運動50年を迎えるにあたって、改めて私たち真宗門徒が、なぜ差別・ヤスクニの問題を学ばなければならないのか。そもそも、同朋会運動とは一体何だったのか。同朋社会の顕現を願い、歩まれた先師先達に尋ねる事を目的として、先生のご講義をいただきました。

 まず先生は、お念仏の教えは私にとってどういう教えなのかを確認され、その教えを通して私の閉鎖的な在り方が問われ、教えられてきたと振り返っておられました。そして、同朋会運動が推し進められる中、宗門内で起こった「開申事件」を始めとするいわゆる「お東騒動」ということも、現実問題として受け止められなかったというお話をされました。

 それは、今の世界における戦争の問題や貧困の問題を見聞きしても、「困ったもんだ」と言うだけで、自分は全く無関係のような立場で日々生活している。そして「重層的つながり」を生きながらも、そういった自己に全く気付いていない事実がある。差別・ヤスクニを学ぶということは、現実の自分と切り離した問題を学ぶということではなく、そういった閉鎖的な在り方の私を明らかにしてくる学びなのだと聞かせていただきました。

 また「機の自覚」について、宗祖自身、罪業深き身を現実生活(家庭・社会)の中で受け止められ、自身を深く見つめてこられました。「罪業深重」とは決して自分で自覚できるものではなく、「機の自覚」を如来大悲の恩徳としていただかれたのではないかとお話し下さいました。

 その後、3班に分かれて班別座談を行い、話し合われた内容を班毎に発表していただき、その発表を受けて先生に後半のご講義をいただきました。

 この研修会を通して僕自身感じたことは、差別をしながら「御同朋」と言ってきた歴史や、現実の様々な社会問題を学ぶということは、同じ問題を抱えている我が身の在り方が問われているのだと思いました。本当にお念仏の教えに生きていると言えるのか、僕の日常をえぐられた気がします。

者:藤田善弘


研修名称:『社会教化学習会』


開催期日:2009219日(木)午後6時~午後9まで

提言者:吉田康徳 社会教化部門 部長

会 場:教務所 教研室

参加人数:13

参加寺院数:12ヵ寺

スタッフ部門名:社会教化部門

スタッフ人数:3人
実施目的:同朋会運動の中で指摘された教団と教団に属する私が有する体質を課題として取り上げて部門内学習を重ね、その学習内容を提言し、参加者自身の問題と絡めながら相互議論を行い、課題の共有と自己の体質を明らかにし、「宗祖と出会い、私と出会い、宗祖と同行となる」学びを進めることを目的とする。

テ ー マ:同朋会運動50年の歩みに学ぶ


報  告

 去る2月19日、社会教化学習会が教務所教研室にて開かれました。組長、副組長などを含む13名の参加をいただき、「同朋会運動50年の歩みに学ぶ」というテーマで吉田康徳部長による提言と座談という内容でおこなわれました。

同朋会運動50年という時間が経過しそのことから今、私たちが何を問われているのか。今回の学習会は私にとって最初の学習会でもありたくさんのことを考えさせられた貴重な時間となりました。

 前半の提言では先に開かれた同朋社会研修会でご講義をいただいた黒田進先生の「同朋会運動と自分」ということから始まり沖縄での集団自決の問題をあつかった大江健三郎氏の「沖縄ノート」にふれながら、イデオロギー同志でぶつかり合う社会のありかた、お互いに対立しあう中にいるものがどう開放されていくのか、という問いかけから始まりました。

 そして、資料をもとに同朋会運動発足の経緯、わたしたちにまで届いてきた歴史を確認し、社会と真宗の関係を学びました。そこから宗教そのものが社会と響きあうように存在し、あらゆる出来事をとおして人間の私たちが願いをかけられていることを痛切に感じました。その私たちにかけられている願いとは一体何であるか。    

阿弥陀の浄土から照らされたときに自己にどう聞こえてくるか。国家のエゴ、民族のエゴ、自身のエゴイズムを越えるというという人類全体の課題、教法により照らされて、初めてお互いが照らしあうような関係が成り立つのではないかと、吉田部長の提言から教えられた思いであります。

 この現実社会に身をおき、ヤスクニと差別いう問題を目前にし、僧侶の私はどう応えてゆくのだという問いをあらためて問い掛けられましたが、では何から始めたらよいのかがよく分からない状態の私に対し、「まずは50年がたち、同朋会運動発足当時の情熱や問題意識が薄れていくなかで、改めて歩みを進めようとする時、歴史的観点を通し、他者との共通認識を持てるような学びが必要ですね。」という言葉を戴きました。常に他に流されやすく、また一方で自己流に陥ることに満足している私たちが気をつけなければいけない大切なことと感じます。

 また提言の中での資料に使われた訓覇信雄師の講述(「現代と教団」S52・同朋会館)中で、歎異精神から起こった同朋会運動に関してサンガ・教団・個人のあり方について触れられている部分が大変印象に残りました。読み上げられた文章には「危機感による歎異感情として、もう一遍新しくいのちを回復しようと起こった運動である。自信の他には教人信はない、自分の信仰の深さだけしか人を度すことができない。」とあり当時の師の思いが私たちのところに今も届いていることを感じました。

 提言の最後には沖縄集団自決のことが繰り返され、時と場所の隔たりはある私が実際にその場にゆき、自分の肌で感じそこで何を思うのかを考えてみたいと結ばれた。

後半の座談会ではそれぞれの立場から同朋会運動やヤスクニ、差別についての意見を交し合うことができました。話し合いのなか、如来の本願に出会い、感じてゆく、法により照らされる、お互いが照らしあう、十方世界お互いが成り立つ世界ということを確認して学習会の時間を終了しました。

限られた時間ではありましたがヤスクニと差別問題に携わってきたこの50年の歩みなかで私たちがどこで「共に」といえるのか、ということを強く問いかけられた今回の学習会となりました。
報 告 者:佐々木強



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